USER’S VOICE中国料理 柚子
オーナーシェフ 初見 直人

中国料理 柚子 オーナーシェフ 初見 直人

まだ知られていない、中国料理の無限の可能性を日本に広めていきたい

四川飯店にて20年の経験を積み、2012年よりはしづめ製麺にて「広尾はしづめ」「青山はしづめ」「原宿はしづめ(現在は閉店)」の料理長を務めた初見直人氏。それぞれの店舗の基礎となるメニュー開発を担ったのちに、2019年からは新中野にて「チャイニーズバル ゆずのたね」をオープン。2023年には豪徳寺にて、「中国料理 柚子」をオープンさせた。中国料理の奥深さを学び続けながら、まだ日本に知られていない中国料理を広めるために、日々さまざまなメニュー開発に取り組んでいる初見氏に、これまでの経歴と料理に向き合う姿勢についてお話しいただいた。

料理をつくるのが好きになったおばあちゃんとの思い出

−−−初見さんが料理人を目指したいと思うようになったきっかけを教えてください。

4歳か5歳ぐらいの時、土曜日になるとよくおばあちゃんのところに泊まりにいき、ごはんを一緒につくって食べるのが好きだったことが、もともとのきっかけだと思います。

餃子やお好み焼き、もんじゃ、さらにお好み焼きともんじゃ焼きの間のような「どんどん焼き」をよくつくっていて、銭湯に行ったり、親からもらった数百円のお小遣いで駄菓子屋に行ったりするのも楽しくて、毎週のように通っていましたね。小学生になってからも相変わらず料理が好きで、友だちを家に呼んで、カツ丼などをつくってよくもてなしていました。

高校の時には、チェーンのレストランのほかに、個人経営の喫茶店でアルバイトをはじめました。ナポリタンを出しているような昔ながらのお店で、パスタのほかにも生地からつくったピザを窯で焼いたり、いろんなものをつくったりしていました。オーナーとはよく、料理の本を一緒に読んだり、どんな料理が流行っているのか話したりしていて、自分の将来についても相談していたんですが、「専門学校に行って、一流と呼ばれるようなところで働いた方がいいんじゃないか」と言われたことがきっかけで、卒業後は服部栄養専門学校に入学することにしたんです。

---その後、中国料理の道を選んだ理由はあったんですか?

そのころは和食を学びたいという気持ちで学校に通っていたんですが、現場研修の際に四川飯店に行ったんですね。当初は友人に誘われたからという安易な理由で、研修期間を終えたら中国料理をつくることはもうないだろうと思っていたのですが、丸いまな板や中華レンジの火力など、見たことがないものばかりの調理場に魅了されてしまったんです。研修先の店長にも気に入ってもらえたので、そのまま卒業後にそこで働くことになりました。

四川飯店ではとにかく朝から晩まで働いていましたね。就職した池袋店はデパートの中にある店舗だったため、朝の10時には地下の売店に30品目を陳列しておかねばならず、見習いの頃は5時から仕事をはじめていました。最初はお皿洗いと調味料などを用意する担当からはじまるので、小麦粉や片栗粉をふるいにかけておき、豆板醤は発酵した大豆とそら豆をミンチにかけるところからつくらなくてはなりませんでした。食材の処理や味付け、切り方などを学んでいくのはそのあとからでしたね。

中国料理では、料理人は大体の料理を1分以内でつくりあげます。仕事をはじめたばかりの頃は、鍋を振るう担当になることがゴールだと思っていましたし、先輩たちが調味料を次々と組み合わせて鍋をふるっている様子を見ながら、俺にもつくれそうだなと思っていたんです。でも、実際に自分も料理をつくる担当になってからは、そこからがスタートだということを知りました。どんなに美味しい調味料ができたとしても、最終的には料理をつくる人の腕次第です。料理を担当するようになってからは、どうすれば美味しくなるのか、どうすればお客さんに喜んでもらえるのかについて考えるようになり、中国料理のむずかしさをさらに感じるようなりました。

 

中国料理について学び直したはしづめ製麺での日々

---その後、はしづめ製麺に入社するまでの経緯をお聞かせください。

以前、四川飯店がお台場のフードコートに出店していた際に、1年間だけ店長をしていたことがありました。札幌や博多、徳島、長野など、全国のラーメン店が10店舗ほど出店しているような場所で、東京代表として四川飯店の担々麺を出していたんです。フードコードでは回転率を上げるために、30秒ほどで茹で上がる極細麺をつくる必要があったんですが、その際に麺づくりをお願いしたのがはしづめ製麺でした。

その後、総料理長をしていた先輩から、広尾はしづめの料理長の職を紹介してもらったのが、はしづめ製麺に入社したきっかけでした。もともとは、いつか一人で切り盛りできるような小さなお店をやりたいなと思っていて、先輩はそのことを知ってくれていたので、「広尾の店舗で総料理長を経験してみるのもいいんじゃないか」と言ってもらえたんです。たしかに、それまで店長をしたことはあったものの、料理長という肩書きの経験はなかったので、メニューを1から全部考えることができる場所で勉強したいという気持ちで、広尾はしづめに転職しました。

自分が入ったのはオープンから半年間が経ったタイミングだったので、それまでのお客様に引き続き喜んでいただけるものを提供しながら、新しいお客様に来てもらうためにはどうすればいいだろうと考えていきました。当初、お昼に何種類かの麺料理を日替わりで提供していたんですが、「先週食べたあのメニュー、今週はないの?」とおっしゃってくださるお客様が多かったため、まずはこのお店にとっての定番の1品が必要だろうと、山椒麺を使った担々麺を通年で提供することに決め、同時に別の麺料理も楽しみたい方に向けた日替わり麺も提供することにしました。

広尾はしづめの次に、青山の店舗も担当することになりましたが、立地や店舗の広さ、お客さんの層が異なり、仕事には大きな変化がありましたね。青山の店舗は、建物の構造上足音が下に響いてしまい、あまり賑やかになり過ぎてしまうとお客様に迷惑をかけてしまうので、コースのみの提供に絞り、来客数を調整するなどの工夫をしました。一方で、その後担当した原宿店は40席ぐらいのカジュアルなお店だったので、コース料理ではなく、いろんなメニューが食べられるスタイルに調整していきました。

---はしづめ製麺時代、印象に残っていることはありますか?

はしづめ製麺にいたのは7年間ほどでしたが、さまざまなお店で食事をさせてもらえる機会がありました。香港にも連れて行ってもらえましたし、昔から卸している老舗のお店の料理長に会わせていただき、一緒にご飯を食べに行くこともありましたね。勉強会が開かれることも多々あって、中国の方にいろんな流派の精進料理をつくりながら学ぶこともありました。

四川飯店での20年間を通して、どこか中国料理をやり切ったような感覚があったのですが、はしづめ製麺では、中国料理をまた勉強し直しているような感覚がありましたね。それまで知らなかった多様な中国料理をやっている方が日本にたくさんいることを知り、自分も中国料理を広めていくような仕事がしたいと思うようになりました。

 

まだ知られていない中国料理の魅力を伝えたい

---その後、独立して新中野で「チャイニーズバル ゆずのたね」をオープンするまでの経緯をお聞かせください。

四川飯店時代に、あるもつ焼き屋に衝撃を受けたことがあったんです。100円程度で熱々の美味しい串が食べられて、手間がかかっている料理も低価格で提供していることにとても興味を持ち、こんな活気の溢れる商売をいつかしたいなと思うようになりました。

先ほどお話ししたように、はしづめ製麺で中国料理について再び学ぶなかで、まだ日本で知られていないような中国料理を提供するお店をやりたいと思うようになったのですが、もしそういった料理が高価格だとすると、なかなか手を伸ばしにくいと思うので、低価格の小皿料理を少しずつ食べられるようなお店があるといいんじゃないかと考えていたんです。そこで、さまざまなメニューをすべて500円以下で提供するお店としてはじめたのが、ゆずのたねでした。オープン当時にはすでに70品ほどのグランドメニューがあり、4ヶ月に一度はリニューアルしていたので、1年間で数百種類の料理を提供していました。

---その後、「中国料理 柚子」をつくるきっかけはなんだったんですか?

ゆずのたねは、はしづめ製麺で一緒に働いていた従業員と2人ではじめたんですが、その後アルバイトを雇い、専門学校卒のスタッフや、四川飯店を辞めた後にフレンチやバーなどを経験したソムリエが入ってきたことで、なにか別のあたらしいお店をやろうと考えるようになりました。当初は神楽坂や駒込などで、コース料理とワインを提供するカウンター8席ぐらいのお店をやりたかったんですが、なかなかいい場所が見つからなくて、しばらく探すなかで辿り着いたのがこの物件でした。

最初は経堂駅付近で別の物件を見つけていたんですが、その際にこの辺りの豪徳寺の街をゆっくり歩いたんですね。静かでいい街だなと思っていたところ、しばらくしてからこの物件が見つかったので、この場所ではじめることにしました。とはいえ駅から10分ほど歩きますし、住宅街の中で周囲に会社などがあるわけではないので、軌道に乗るまでには3ヶ月から6ヶ月ほど時間がかかるのかなと思っていたのですが、なぜだかオープンする以前から噂が広がっていたみたいで、オープン日には長蛇の列ができていました。

---それぞれの店名の由来はなんだったんですか?

「健康美」というゆずの花言葉と、「桃栗3年柿8年 柚子の大馬鹿18年」という言葉に由来しています。長い年月をかけてお客さんに愛されるような店にしたいという気持ちでつけた名前でした。

一方で、実はうちの娘の名前でもあるんですよ。娘が小さい時に、いつか自分のお店をやりたいと言っていたので、娘が独立した時に店を譲るために、種をまいておいてあげたいなと。「柚子」は、その種が花開いたお店として名付けたものでした。現在娘は自分と同じ服部栄養専門学校を卒業して、和食のお店への就職が決まっています。大変だと思いますけど、頑張ってもらえるといいですね。

 

練り込み麺の開発から携わった「ゆず麺」を使ったメニュー

---現在提供されている「ゆず麺」のこだわりをお聞かせください。

現在柚子で提供しているゆず麺は、はしづめ製麺時代に社長と一緒に開発した練り込み麺のひとつでした。もっときしめんのように幅広の麺だった時もありましたが、いろいろ考えながら試食して、より香りが感じられるように調整して仕上げたのが現在のゆず麺です。当初は思ったように味や香りが感じられなかったり、茹でることでうまみが出ていってしまったりと、ゆずを練り込み麺に閉じ込めるためにはさまざまな工夫が必要でした。

ゆず麺を使用しているメニューのベースには、広尾でも提供していた干し貝柱と白菜を煮込んだシンプルな料理があり、麺料理として仕上げるにあたっても、ゆずの香りと味、麺のコシを味わってもらうために、できだけシンプルなままの味付けにしています。麺を売りにしているお店であれば、ゆずの香りと味が感じられる冷やしつけ麺として提供するのがいちばんだと思いますが、ここは中国料理のお店なので、料理としての味の土台がある上で、麺がそれを補完するようなものを提供したいと考えたものでした。

 

自分の家族につくるように、愛情を込めて料理に向き合うこと

---料理に向き合う上でどのようなことを大切にしていますか?

陳健一さんがお店でいつも言っていた言葉がとても印象に残っています。陳さんは料理に対してああしろこうしろと指導をする方ではなく、「料理は愛情だから、気持ちをちゃんと込めなさい」とよくおっしゃっていました。また、「熱いものを熱く、冷たいものは冷たく」ともよく言われていたので、それだけは絶対に守るようにしていますね。特に麺料理の場合、伸びてしまわないようにホールのスタッフに「もうすぐ仕上がるからね」と声をかけて、お箸や蓮華、お盆、さらに2人でシェアする場合の取り皿などを事前に用意してもらっています。

あとは、いくら急いでいたとしても、常に自分の家族につくるような気持ちで料理に向き合うことを大事にしています。かならず最後には味見をして、「ちゃんと美味しいから大丈夫だ」という料理人の気持ちを、ホールのスタッフを含めたお店全体でお客様に届けられるようにしています。

---最後に、今後挑戦したいことをお聞かせください。

中国に「百菜百味」という言葉があるように、いろんな食材を使った料理ができるのが中国料理の醍醐味だと思います。ひとつの食材でも、味付けによって無限に変化させることができますし、たとえば塩などの調味料にしても、岩塩から海水を使った塩など、さまざまな種類があります。まだまだつくったことのないものばかりなので、今後も自分たちで試行錯誤しながら、なにが美味しいのかを考えていきたいですね。

また、料理人にとっての勉強は食べることなので、柚子のスタッフには、なるべくいろんなお店に食べに行ってもらうようにしています。自分がスタッフに教えられることには限りがありますし、他のお店に食べに行くことは、違う先生に習いに行くことと同じなんです。これからはスタッフと一緒に学びながら、新しい料理を考えることにも力を入れていきたいと思います。

 

プロフィール

初見 直人 氏

1973年東京都生まれ
1991年服部栄養専門学校入学
1992年赤坂四川飯店池袋店入社
2000年赤坂店に移動
2012年赤坂四川飯店退職
2013年はしづめ入社
2019年はしづめ退職
2019年新中野にチャイニーズバル ゆずのたねオープン
2023年経堂に中国料理 柚子オープン
今に至る。

中国料理 柚子

ウェブサイト
https://kyodo-yuzu.com/
住所
東京都世田谷区赤堤1-16-21
電話
03-6413-9679
営業時間
最新情報は店舗ウェブサイトをご確認ください。
定休日
最新情報は店舗ウェブサイトをご確認ください。
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