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オーナーシェフ 新山 重治

新華 オーナーシェフ 新山 重治

季節感溢れる料理を美しい盛り付けで表現する、「ヌーヴェルシノワ」の醍醐味

16歳で調理師免許を取得したのちに、数多くの中華料理店にて経験を積んできた新山重治氏。1986年に、日本ではじめてヌーヴェルシノワを広めた料理人として知られる脇屋友詞氏が料理長を務める「楼蘭」にて副料理長を経験し、1991年からは同店にて料理長に就任。その後、いくつかの店舗を経験し、2004年には自身がオーナーシェフを務める中国料理「礼華」を新宿御苑にてオープンさせた。
1980年代に香港ではじまったとされるヌーヴェルシノワでは、旬の食材の持ち味を活かした料理の数々が、フランス料理のように1皿ずつコース料理として提供される。現在、新宿御苑の店舗に加え、南青山の「礼華 青鸞居」、日比谷の「礼華 四君子草」、そして乃木坂の「新華」の4店舗にてヌーヴェルシノワを提供する新山氏に、美しい盛り付けと季節感へのこだわり、そして自身の料理観について伺った。

中華料理とフランス料理が融合した「ヌーヴェルシノワ」との出会い

---新山さんが料理の道に進まれた経緯を教えてください。

手に職をつけたかったというのが、理由として大きかったですね。子どもの頃から食べることが好きでしたし、食に興味があったので、まずは飲食に関わる仕事をしようと、中学卒業後にそのまま青森から上京してきました。

最初に就職したのは、首都圏でレストランを総合的に展開している会社で、大宮に配属された僕の勤務先は、昔ながらのデパートの食堂でした。ナポリタンやカツ丼、ラーメンなどを提供する場所で、僕は中華を担当していたんです。とはいえ、その頃はまだ中華の道に進もうとは考えてなくて、とにかく仕事に慣れていくしかなかったですね。

---その後、中華料理のシェフとしての道を選ぶ決め手はあったのでしょうか?

デパートの仕事をしている時に、つくるのも食べるのも、僕には中華料理がいちばん合っているなと思ったんです。それに、中華料理は幅が広いんですよ。当時は上海料理がベースだったんですが、その後四川料理や広東料理が広がっていき、勉強すればするほど奥が深い中華の世界に、おもしろさを感じたんです。

―――それから複数店舗を経験されたのちに、86 年からは立川リーセントパークホテルの「楼蘭」(現在は閉店)にて「ヌーヴェルシノワ」を学ばれています。どのような料理なのかお話いただいてもよろしいでしょうか?

僕らが中華の世界に入った頃は、円卓に10 人前の料理を出すような感じで、ほとんど大皿で提供するのが主流でした。それがヌーヴェルシノワでは、フランス料理のように1 皿ずつ料理を提供していくんです。当時、香港に足を運んだ際にヌーヴェルシノワのお店が何軒かあり、こんな料理があるんだなと。その後、楼蘭の料理長だった脇屋友詞さんが日本でヌーヴェルシノワをはじめて、徐々に広まっていきました。

―――当時、どのように中華料理とフランス料理が組み合わさったのでしょうか?

その頃の香港では、外国人の方が多く住んでいたんですね。イギリス領だった歴史もありますし、マカオはポルトガルの領だったので。香港のコックさんは、そういった状況を取り入れるのがすごく早かったんだと思います。

―――ヌーヴェルシノワをはじめたことで、料理との向き合い方に変化はありましたか?

ベースはあくまで中華料理なので、その点で変化はありませんでしたが、どのように盛り付けるかに大きな違いがあります。小皿に盛りつける分、どうしても時間がかかってしまうので、いかに温かい状態で料理を提供するのかを試行錯誤しました。

また、大皿で提供していた頃は3、4 皿の注文だけでお客様はお腹いっぱいだったと思いますが、小盛りのコース仕立てにすることで、8 品から10 品といった品数の多い形式で料理を提供できるようになりました。なので、フレンチや和食のやり方を中華料理に取り入れるようになったんです。

自分が表現したい麺料理の「味」を求めて

―――2004 年に、ご自身がオーナーシェフを務める「礼華」をオープンされています。

オープンする前は恵比寿の「筑紫楼」で働いていたのですが、その頃すでに46 歳になっていました。そのくらいの年齢になったら、そろそろ自分でお店をやってみたいなと思うものですし、本当はもっと早くはじめたかったのですが、資金などを考えてそのタイミングになってしまいました。

僕は新宿に住んでいたので、自転車で通える範囲で四ツ谷か新宿御苑あたりの物件をずっと探していたんです。でも、焼肉屋さんと同じで、中華料理屋をやるとなると、そう簡単には貸してくれないですね。油で汚れるのを嫌がられてしまうので、現在の場所を借りるまでに何度も断られたんです。最終的に、水を流し続けるダクトをつくって油を吸い込むようにしたところ、ようやく貸してもらえることになりました。店舗のオープンのためには、いろいろと勉強が必要でしたね。

---以前からはしづめ製麺の麺をお使いいただく機会がありましたが、礼華のオープンに際して弊社をお選びいただきました。決め手はどのようなところにありましたか?

これまでのお店では、オーナーの方が食材を決めている場合もありましたが、自分のお店をはじめるにあたっては、あらためてはしづめ製麺さんにお願いしようと連絡させていただきました。これまでにいろんな麺料理を食べてきたので、自分の頭の中に、自分がつくりたい麺料理の「味」があったんです。それを表現するのにいちばん合う麺はどれだろうと考えた時に、はしづめ製麺さんにお願いしたいと思いました。

それに、はしづめ製麺さんの製品は、麺の太さやちぢれ具体、色など、いろんな種類の麺があるので、麺料理をつくる上での扱いやすさを感じますね。新宿御苑の礼華をはじめ、南青山、日比谷、そして乃木坂の「新華」にて、焼きそばやスープ麺、揚げそばなど、いろいろな料理で使わせてもらっています。

---現在は新たにごぼう麺を使ったメニューを提供されています。

今季はじめて提供するメニューです。あさりから出汁をとり、あさりの身と揚げたごぼうを入れた、ごぼうづくしの麺料理です。ごぼうは基本的に一年中食べられますが、春の新ごぼうなど、季節によっていろんな種類のごぼうがあるので、そういった旬を考えながらつくっています。

季節に合わせてさまざまな麺料理をつくってきましたが、夏にははしづめ製麺さんの「翡翠麺」を使った冷麺を提供しています。はしづめ製麺さんの製品には、さまざまな素材を使った練り込み麺の種類が豊富なので、季節感を出しやすいんですね。「たとえばこんな練り込み麺はできませんか?」とお願いして、小ロットだけ卸してもらったこともありましたね。

 

中華料理は変化し続けている

―――ヌーヴェルシノワにおける麺料理の扱い方に違いはありますか?

昔の中華料理屋なら、大きなどんぶりにどんっと麺を入れるのが普通でしたが、ヌーヴェルシノワとして提供するにあたっては、サイズをハーフにしてみたり、別の器にしてみたりと、新しい提供の仕方を考えるようにしています。また、南青山と日比谷の店舗は5、60 席の規模なので、お店が混雑するタイミングだと、料理ができてから運ぶまでに時間がかかってしまう場合もあるため、はしづめ製麺さんの伸びづらい製品を使った上で、茹で時間を逆算して決めています。

―――ヌーヴェルシノワでは、油をあまり使わずに素材の味を活かした調理に特徴があると感じましたが、中華料理に長く携われてきた中で、味付けや調理の仕方に変化を感じることはありますか?

ヌーヴェルシノワを提供しているうちの麺料理に限らず、どんな料理でも油を使う量は減ってきていると思いますね。僕らの頃は、麺で使う油はラードでしたが、徐々に半分はサラダオイルに代わり、現在はすべてサラダオイルに変わってきていますから。中華料理はどんどん変わってきていると思いますし、それはおそらく、食べる人の生活が変わってきているからだと思います。以前は、肉体労働をする人が中心に食べていたので、油が必要とされていましたし、それが主流だったんですね。それがだんだんと、デスクワーク中心の仕事が増えていくにつれて、カロリーを必要としない食べ方になってきている。それは日本だけではなく、中国でも油を減らして調理されるようになってきています。

---そういった働き方と調理方法の変化が、ヌーベルシノワが始まった80 年代のタイミングと同じだったということでしょうか?

そうだと思います。僕自身、昔の調理の仕方でつくって食べてみたとしても、ちょっと重いかなと感じますね。

 

デザートまで揃ってようやく完成する、コース料理の醍醐味

---コース料理へのこだわりについて教えてください。

まずはなにより季節感を大事にしていますし、それに合うお皿や器にも気を配っています。たとえば炒め物などは、通常は深い器には入れませんが、あえてそういった器を使ってみたり、この料理にこんな器を合わせてみたらおもしろいかなと、たまにチャレンジしたりすることもありますね。大体2 ヶ月に1 度はすべてのコースを変えているので、料理と器の種類、そして季節に合わせて随時組み合わせを考えています。

最初にお出しする料理としては、フランスのコース料理における「アミューズ」のように、お酒に合うものをまず考えています。2 番目にお出しする前菜は、季節によって入れる食材とドレッシングをすべて変えて提供しています。コース料理の場合、たとえばこのタイミングでこの料理を出すのであれば、次はこの料理はどうだろうと、順番によって前後のメニューを考えていくんです。僕らの仕事はすべてが揃ってこそなので、デザートまで出してようやく完成だと思っています。

---先日コース料理をいただいた際、数十種類の野菜が円形に盛り付けられていた前菜がとても印象的でした。

以前、フレンチ料理を食べに行った時に、ああいった盛り付けがされていて、とても美味しかったんですよね。それを中華風に変えてみるのはどうだろうと、新華をオープンする以前からやりたいなと思っていたんです。お客様のなかには、もったいないからといって一種類ずつ食べる方もいるんですが(笑)、混ぜて合わせてようやく完成する料理なので、そのようにお伝えしています。

 

お客様からの「美味しかった」を目指して

---新山さんが料理においてもっとも大切にしていることはなんですか?

僕ら料理人は、お客様からの「美味しかった。また来るよ」という言葉を目指して頑張っていると思うんです。なので、料理に対して、「ちょっとこんな風にしてもらえない?」というお客様からの意見は、100%聞くようにしています。たとえば、フカヒレ料理を出した際に、「もうちょっと軽くしてほしい」「もっと辛くしてほしい」などとおっしゃる方もいるので、それに合わせて調整することもあります。ほかにも、お肉やお魚、場合によっては野菜も食べられない方がいらっしゃるので、コース料理をつくり変える場合もありますね。予約を受け付けた時点で、アレルギーや好き嫌いの情報はスタッフにすべて共有していますし、お客様の食べるスピードについても把握するようにしています。

―――オーナーシェフとして、各店舗のメニュー監修や料理長とのコミュニケーションはどのようにされているんですか?

行ける時には各店舗に足を運ぶようにしています。新しいメニューを考える時にはすべて試食をして、各店舗それぞれの料理長と相談しながらつくっていますね。僕は基本的に美味しければそれでいいと思っているので、味については料理長にお任せしています。どちらかというと、料理を出す時の提供の仕方や盛り付け方、さらにオペレーションついて意見を伝えることが多いですね。みなさん何十年もキャリアのあるベテランの料理人ばかりなので、それぞれ自分自身の味についての考えを持っていると思うんです。なので、「こうすればもっとよくなるかも」「こっちの方が合うかもしれないよ」といった伝え方をするようにしています。

たとえば、プチヴェールという野菜をボイルしていたコックがいたのですが、僕はちょっと焦げ目がつくぐらい焼いた方が美味しいと思うので、調理方法を変える提案をしたことがありました。とはいえ、まずは「自分で食べてごらん」とお話しして、最終的にどちらが美味しいかは自分で判断してもらうのがいいと思っています。

---最後に、新華の今後についてお聞かせください。

新華は2024 年の2 月でオープン3 年目を迎えます。コロナ禍でのオープンだったため、2 年間は本当にどうしようかと思っていましたが、ありがたいことに、ここ1 年間は忙しくやらせもらっています。常連さんからの希望がある場合はお昼のご予約を承っていますが、今後は夜のコース料理に集中して営業をしていきたいと思っています。

プロフィール

新山 重治 氏

1957年 青森県に生まれる。
16歳で調理師となり、東條會舘(1980年~)、キャピトル東急ホテル(1986年~)等を経て、
1986年9月 立川リーセントパークホテル「楼蘭」で、脇屋友詞氏のもとで副料理長を務める。
1991年 同店の料理長に就任。
1997年 横浜パンパシフィックホテル「中国料理 トゥーランドット游仙境」の料理長に就任。
1998年 「魚翅海鮮酒家 筑紫樓」恵比寿本店の料理長に就任。
2004年3月 オーナーシェフとして独立。新宿御苑前に「中国料理 礼華」開業。
2009年12月 南青山に「中国料理 礼華 青鸞居」を開業。
2018年3月 東京ミッドタウン日比谷に「中国料理 礼華 四君子草」を開業。
2021年2月 乃木坂に「新華」開業。

新華

ウェブサイト
https://www.rai-ka.com/shinka/
住所
東京都港区赤坂9-5-26パレ乃木坂1F
営業時間
ランチ  12:00~13:00(L.O)
ディナー 17:30~20:00(L.O)
最新情報は店舗ウェブサイトをご確認ください。
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