和食の奥深さに向き合い続けながらつくる、コース料理を締めくくる麺料理
割烹料理店にて料理人としての道を歩みはじめ、その後ほぼ独学で焼き鳥の技術を習得したという川名直樹氏。代官山「こけぴよ」の立ち上げに携わったのちに、2016年からは自身の焼き鳥店「南青山 七鳥目」をオープン。わずか1年でミシュランの一つ星を獲得し、いまでは予約が困難なほど人気店としての地位を確立している。
2部制によるコース料理を提供している同店では、締めの麺料理として醤油ラーメン、鶏白湯ラーメン、担々麺を楽しむことができる。焼き鳥職人であり、和食への高いこだわりと情熱を持つ川名氏にとって、麺料理とはどのような存在なのか。料理人としての自身のルーツから、独立を経て現在にいたるまでの歩みを、川名氏にお話しいただいた。
鳶職から料理人への転身
―――川名さんが料理の道を志したきっかけを教えてください。
高校卒業後は建設現場で鳶職をしていたんですが、25 歳の時に料理の道に進むことに決めたんです。真夏のある日、 強い日差しの中でパイプ運びをするおじさんたちを見ていたら、「ずっとこの仕事はできないな…」と思ったんですね。 それに、同じ現場で働いていたおじいさんから「25 歳までに進む道をちゃんと決めないと、チャランポランのままの人生になってしまうぞ」と言われたのが、頭に片隅に残っていたんだと思います。

僕は人に使われて働くのが嫌な性格なので、サラリーマンは絶対にできないだろうなと思い、ひとりで仕事ができる 料理人の道を選びました。当時は世間を知らなかったですし、どういうお店に入ればいいかわからなかったため、い ちばんお給料の少ない、厳しそうな割烹料理店を選んだんです。丁稚奉公とまではいかないものの、そういうお店の 方が料理のことを1から10まで学べるんじゃないかなと思ったんですね。
―――それ以前から料理はされていたんですか?
中学3年生の頃、革製品の仕事をしていた父の会社がバブルの影響で倒産してしまい、それから高校3年生まで飲食 店でアルバイトをしていました。母も朝から晩まで働いていたので、家でもよくキッチンに立っていましたね。チャーハンとか、自分の好きなものをつくって食べていました。

―――料理の道に進む上で、和食を選んだ理由はあったのでしょうか?
やっぱり、フランス料理を学ぶとしたらフランスに修行に行かないといけないですし、中華やイタリアンもそうです よね。日本人の自分がやるんだったら、やっぱり和食がいいんじゃないかと。そこは迷わなかったですね。
いまになって思うのは、どのジャンルの料理人もすごいですけど、和食で成功している人は特に尊敬しているんです。 なにより和食は使う調味料が少ない。名店に限らず、美味しい和食屋さんはうま味調味料を使わず、塩、醤油、砂糖、 みりんだけで調理している。和食というのは本当に難しいし、奥が深いなと思います。

焼き鳥との出会いから店舗の立ち上げ、そして独立
―――その後、焼き鳥との出会いはいつだったのでしょうか?
最初に働いていた割烹料理屋に8年間勤めてから、銀座の和食屋さんで働きはじめたんですが、ヘルニアで歩けなくなってしまい、1年ほどで辞めてしまったんです。トイレにも這いつくばって行くような状況で、これからどうしようかなと思ったんですが、筋肉緩和剤がたまたま効いて良くなってきた頃に、最初に働いていたお店のオーナーから電話があったんですね。「知り合いが経営している新宿の立ち飲み屋があるんだけど、リハビリがてら働かないか?」 と声をかけられて、それが焼き鳥との出会いでした。

ところが実際に働きはじめたところ、先任の人から「来月に辞めるから」と告げられてしまって(笑)。 1ヶ月間、その人のやり方を見て焼き鳥の焼き方を学び、インターネットもない時代だったので本を買って学んでいきました。仕込みをして、焼き鳥を焼き、一品料理も出して、ドリンクもつくって……リハビリがてらと言われていたのに、ひとりでお店をやる羽目になってしまった(笑)。ただ、もともと焼き鳥は好きだったんですよ。子どもの頃、「なにか食べるものを買っておいで」とお金を渡されたら、姉ちゃんとお肉屋さんの焼き鳥を買いに行っていたくらいだったので。
そうやって2、3年間真面目に働いていたら、ある日常連のお客様から「独立したいんだったら、お店の立ち上げをやってみない?」と声をかけられたんです。いまも続いている代官山の「こけぴよ」というお店なんですが、社長と一緒に物件を探しに行き、たまたま居抜きの物件が見つかったので、オープンから軌道に乗るまでお店を任されていました。

とはいえ、代官山で飲食店をやるのは本当に大変でしたね。代官山は芸能人が経営する人気店ですらすぐになくなってしまうくらい、入れ替わりの激しい街です。僕の店もオープンから10ヶ月ぐらいはお客様が来なかったですね。 そんな中、ある日グラフィックデザイナーの秋山具義さんがふらっと来るようになったんですよ。当時は「変わった人だな」と思っていたぐらいで、影響力のある人だと知らなかったんですが、具義さんがSNSでお店のことを発信してくれたおかげで、いきなりお客様が来るようになったんです。いまから12 年ほど前なので、ちょうどSNSが流行りはじめた頃でしたね。
ようやくお店が軌道に乗るようになり、独立のため辞めさせてもらったものの、この場所が見つかるまでにまた1年ぐらいかかりましたね。本当にお店ができるのだろうか……と、不安になるくらいでした。ここが見つかった時のことは未だに覚えています。葉山でイカ釣りをやっている時に、「こんな物件があります」と電話がかかってきたんです。 すぐに釣具をしまって見に行き、パッと見ただけの直感で契約してしまいました。広尾駅を降りてからの街並みがすごくいいなと思いましたし、ここは地下なのに風が通る、明るい場所だなと。その時はまだお金が借りられるかわからなかったので、もうドキドキでしたね。


自分の好きなもの、お店で提供したいものにちゃんとお金をかけたい
―――「南青山 七鳥目」という店名はどのように決まったのでしょうか?
「独立する時はかならず僕に連絡して」と具義さんに言われていたので、代官山のお店を辞める時に事務所にうかがったところ、店名を考えてくれて、ロゴもデザインしていただきました。最初は自分の名前の店名を考えていたんです が、打ち合わせの時に住所を書いていたら、「南青山 七鳥目でいいんじゃない?」と。いま思うとこの名前にしてよかったなと思いますね。

―――コースを提供するスタイルにされたのにはどんな理由があったんですか?
もともとコース料理をやっていきたいなと思っていたんです。ここは家賃が高いですし、席数も多く取れないので、 料理も含めてそれなりの値段をいただくコースにするしかないなと。その頃は焼き鳥といえば1本100~200円が普通で、高級店は少なかったんですが、立ち上げの時に協力してくれた高校時代の同級生が、「そんなに頑張っているんだから大丈夫だよ」と、価格について悩んでいる僕の肩を押してくれたのも大きかったですね。

立ち上げ当初の売り上げは全然なかったですし、毎日大変でしたが、具義さんがいろいろな人にお店のことを勧めてくれたおかげで、仕込みも間に合わないくらいたくさんお客様が来てくれるようになりました。現在は2部制を導入しているんですが、おそらく、焼き鳥屋さんで2 部制をはじめたのは僕が最初なんじゃないかなと思います。それも狙ってはじめたわけではなくて、あくまでクオリティを上げるためでした。
僕は原価計算をしないですし、税理士さんに年間の収支をみてもらっているだけで、儲けようと思ってお店をやっているわけではないんです。自分の好きなもの、お店で提供したいものにちゃんとお金をかけたいので、自分の給料もほとんど取っていなかったですね。昔から目立つのは好きだったので、有名になりたいという気持ちはありましたけど、お金は別にいいやって。2部制にしてからは、ある程度の給料を取れるようになったんですが、それも最近のこ とですね。

―――さきほど少ない調味料でおいしいものをつくる和食の難しさについてお話されていましたが、七鳥目をオープンされてからはご自身の料理にどのように向き合われていますか?
お店をはじめようと思っていた当初は、正直何をつくったらいいかわからなかったですね。自分ってこんなにできな いんだなと、かなり苦戦しました。レシピについて多少知っていたとしても、出汁の引き方ひとつで味が変わってしまうのが和食の難しさだと思います。焼き鳥屋ではあるものの、鶏だけを扱っていてもしょうがないなと思っていたんですが、どこまでメニューを広げるべきなのかは何年も悩みました。
たとえば、唐揚げを出すと居酒屋さんのようになってしまうかもしれないですし、よだれ鶏を出すとしても、ここよりも美味しい中華屋さんはたくさんあるわけで。うちに来るお客様は、僕がいくら頑張っても太刀打ちできないようなトップレベルのお店に行っているような方ばかりなので、常連さんや大家さん、従業員の意見を聞きながらメニューを考えていきました。いまだに悩んでいますし、葛藤もあります。
ミシュランの一つ星も、別に取りたくて取ったわけじゃないんですよ。気づいたら勝手に取れてしまって、「俺の店が一つ星?」と驚きましたね。全然自信がなかったし、まだまだだと思っていたので、ただ真面目にやっているのが伝わったのかなと思っています。
うま味調味料を使わずにおいしいラーメンをつくりたい
―――七鳥目で麺料理を出すようになったきっかけは何ですか?
オープンした時から親子丼と鶏白湯の煮麺を出していたんですが、それが慣れてきたらおもしろくなってきて、ラーメンをやってみようかなと思ったんです。うま味調味料を使わずにおいしいラーメンをつくりたいなって。以前はラーメンにはうま味調味料を入れるのがあたりまえで、料理人がラーメン食べること自体、邪道だった時期があったんです。和食屋で働いている人がラーメンを食べているなんて、恥ずかしいことだとすら思われていて。
現在は醤油ラーメンと鶏白湯ラーメン、担々麺をコースの最後に提供しています。ラーメンはスープ、かえし、鶏油の3種類に麺を入れて成立するんですが、うま味調味料を使わないためには、その分うま味ののある素材をたくさん入れなくてはいけないので、かえしには干し椎茸、干しエビ、干し貝柱、煮干し、ゲソの煮干しなどを醤油の中に詰め込んでいるんです。ある程度落ち着いてきましたけど、つくり方はいまだに変えていますね。

いまあらためて思うと、自分は麺料理が好きなのかもしれないですね。お客様からも、「大将、麺好きなの?」と聞かれますし、和食屋さんで働いていた頃にも讃岐うどんにはまって、日曜日の休みに日帰りで香川まで行って、製麺所の方にうどんのつくり方を教えてもらったこともありました。やっぱり、つくるとなると1から10までやりたいタイプなんですよね。今年実施した七鳥目の内装工事期間中にはそば学校に通い、リニューアルオープンしてからは、 コース料理の途中の口替わりとして、大葉とわさびと海苔で召し上がっていただく手打ちそばを出しています。蕎麦打ちに必要な杵や鉢をすべて揃えたので、毎日朝一でそばを打っていますね。なんだか自分自身を過酷な状況に置くのが好きみたいですね(笑)。

―――麺料理をつくるおもしろさはなんだと思いますか?
麺って、種類によって全然違うじゃないですか。うどんもラーメンも蕎麦も、すべてに違いがある。同じつゆに入れたとしても同じようには決して食べられない、そんな奥深さがありますね。
はしづめ製麺さんの麺を使いはじめたのは、知人からの勧めがあったからでした。最初に香港麺をいただいた時には、スルスルっと食べられる、おいしい麺だなと率直に感じましたね。はしづめ製麺さんは、伝統を残しながらさまざまな麺づくりに挑戦されているイメージがあります。現在使用している香港麺のような基本の麺から、山椒麺のように遊び心のある麺まで、幅広くいろんな麺を試せる楽しみがありますね。
七鳥目はラーメン屋ではないので、少ない発注量ですし、在庫のことを考えると、香港麺のような万能な麺がとても助かっています。僕は和食屋さんにいた時から、冷凍したものを使うなんてありえないという考えを教わっていたの で、ロスが出ないようにきちんと捌ける量だけをお願いしています。せっかくいい生の麺があるのに、それをわざわざ冷凍する必要はないと思うので。いまだに冷凍して使うのはスープぐらいで、そのほかには一切使わないですね。

さまざまな縁に支えられた料理人としての人生
―――はしづめ製麺では、五感で楽しむ麺づくりをコンセプトに掲げています。川名さんは料理をする時に五感を意識することはありますか?
現在使用している香港麺に関していうと、小麦のいい香りがしますし、ポキポキした食感が楽しめると麺だと思うの で、スープとの相性を意識しながら、麺の持ち味を活かした状態で提供できるように、適切な分数で茹でることを大事にしています。あたりまえのことではありますが、湯がきすぎてしまうと麺のよさがなくなってしまうので。
あとは、お皿が大好きで骨董品を買うことがけっこうあるんですが、料理人としてそれなりの値段いただく上で、ど んな器を使うかはとても大事だと思うんです。僕自身、お店に食べに行く楽しみのひとつとしてお皿をよく見るようにしていますし、器がつまらなかったらその分料理もおもしろくないと思うんですね。昔は土物が好きだったんですが、最近は青磁の方が串料理に映えるなと感じています。

―――最後に、川名さんが今後取り組んでいきたいことをお聞かせください。
麺料理としては、少し太目の麺を使った味噌ラーメンに挑戦してみたいですね。味噌ラーメンって難しいんですよ。 うま味のあるものを入れないと、ラーメン感が出なくて、ただの味噌汁になっちゃうんです。せっかくはしづめ製麺さんにはさまざまな種類の麺があるので、麺に合わせたラーメンをもっと開発していきたいと思っています。
今日こうやってお話しをしていたら、あらためていろんな人の支えられてきたんだなと感じましたね。僕は人生でそこまで多くの人と出会ってきたわけではないけれど、周りのアドバイスを参考にしてきたからこそいまがあると思います。ずる賢くならずに、真面目にやってきてよかったなって。あくまでいち料理人として、いつまでも現場に立ち続けないといけないなと思います。やっぱり、僕は料理の道に進むしかなかったんです。それに、本当に運がよかった。人生ってそういうものですよね。

プロフィール
川名 直樹 氏
1980年 9月22日生まれ
1998年 3月 高校卒業
1998年 4月から2012年までの7年間は、 建築系の仕事
2012年 恵比寿 和食屋
2018年 退職
同年 銀座 和食屋
2020年 退職
2011年 焼き鳥 立ち飲み屋
2014年 退職
2014年 代官山 こけぴよ 立ち上げ
2015年 代官山 こけぴよ 退職
2015年 フリーター 店舗探し
2016年 9月7七鳥目OPEN
南青山 七鳥目
- 住所
- 東京都港区南青山7-13-13 フォレストビルB1F
- 電話
- 03-6427-3239
- 営業時間
- 最新情報は店舗ウェブサイトをご確認ください。
- 定休日
- 最新情報は店舗ウェブサイトをご確認ください。
